人口減少=悪、はもうやめよう

==お知らせ==
2018年9月、大井川茨城県知事にお渡ししたスタートアップ支援関連政策の提言書を公開しています。お時間ある方はぜひ御覧ください。 
http://triot.net/2018/09/180923-teigensho-1/
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人口減少と言われて久しいこの時代。実際に自然増よりも自然減の方がすでに多く、2050年には1億人を切ると予想されています。

ぱっと聞くと、あまり良くないことのように思えるし、何ならディストピア的妄想だって繰り広げられる。実際、人口減少は国の生産性を低下させる、なんて言われながら、人口増頑張りましょう、っていう言説が行政中心にまことしやかに蔓延しているわけです。

でも、それって本当でしょうか?

時代は変わった

確かに、これまでの人材集約的な産業構造であれば、労働生産人口=生産性というロジックは成り立つし、国の税収も人口に依存していました。

でも、今って、そういう時代でしたっけ?というのが今回の問いです。

インターネットとCPUが加速度的に発展し、本当の意味での「AI時代」を迎えるまでもなく、多くのデジタル企業の収益は自動生成されています。多くのユニコーン企業、スタートアップの収益構造は、決して人材集約型ではなく、いかに必要最小限の人員でスケールすることができるか、ということが至上命題であり、むしろ存在意義そのものです。

製造業にもロボットがすでに積極的に導入され、従業員一人あたりの生産性は格段に向上しています。これまで人の手をかけなければ不可能とされていた領域、もっと言うと、人であっても不可能とされていたものが、いわゆる「AI」とロボットによって代替、もしくは実現されてきています。

堀江さんなどが仰るとおり、人類はもはや働かなくても良い時代に「向かっている」ことは、事象として明らかです。少なくとも、オペレーションコマンドを叩くことと、社会構造や技術の革新を追い求めることに人間はそのリソースをフォーカスできるようになるんだと思います。

人口減少=悪、という呪縛

そんななかで人口減少が悪いことである、という言説は前時代的すぎて、もはや今の時代には当てはまらない、ということは明白でしょう。

もちろん、例えば伝統ある集落が担い手不足で消滅していくことは、多様性や人類の資産としての観点から言うと良い話ではありません。ただ、明治から高度経済成長時代までの間に爆発的に増えてしまった人口が、社会・経済構造の変化に合わせて適正化されていく、という意味での人口減少は、あくまでも最適化なのであって、絶対悪として決めつける感覚は、ある意味呪縛でしか無いと思うのです。

一人あたりの生産性が高まれば、もっと言うと、人が介在しない生産が増えていけば、人口が例え減ったとしても、経済規模は成長していくし、そのスピードは人材集約型産業が中心で人口増加とともに経済が発展していたときのスピードよりはるかに加速度的なはずです。

逆に言うと、人口の呪縛から逃れることが出来なければ、人口を増やすにはどうしたら良いか?のような、今の時代では全く本質ではない議論と施策に時間を費やし、永遠に次の時代へのステップを踏めなくなってしまいます。

人口が少ないことの価値

人口が少ないこと、そのものにも価値があるはずです。(「少ない」というワーディングがそもそも良くないと思うのですが。)

いわゆる人口が密集していない地域では、

  1. 単位面積あたりの人口が少ない
  2. 一人あたりの専有可能面積が広い
  3. 土地の値段が安い
  4. 人間と人間、地点と地点の間隔が広い
  5. 人間よりも自然の存在が強く、多い

みたいな特徴が、例えばあります。

これは決して東京やニューヨークではない事象です。

だからこそ、こういった地域でしか発想しえないアイデアであったり、ビジネスであったり、文化であったりが確実に存在します。

例えば一昨年に、秋田で運転代行版のUberを開発しているスタートアップと札幌で出会いました。これは完全に東京では思いつけないビジネスモデルです。

私の自宅はつくばの郊外にありますが、周囲には田んぼや畑、竹林があり、人家の間隔も広いので、非常に心地よい朝を迎えることができます。

あくまでも視点の多様性のお話し

特に田舎が絶対的に良いとか、人口減少バンザイとか言っているわけではなく、前時代的な価値判断に縛られ、必要以上に悲観したり、発想が卑小になる必要は全く無い、というお話しです。

より自由に、より多様な視点をもち、自分たちの価値をちゃんと判断することができれば、新しい世界が開けてくるはず。