いくつかのペルソナを被るということ

いくつかのペルソナを被るということ

人は誰しも、いくつかのペルソナ(人格)を被っている。

これは僕が中学生のころからぼんやりと意識をしてきたことであったりします。当時は、学校での優等生?(一応ね笑)の顔、裏では不良連中とうまく付き合い仲良くしつつも、家では家向けの顔、など、そうやった方がうまく生きることができると明確に分かってやっていました。

そのうち、そういったTPOに応じたペルソナの使い分けが意識せずとも自然に出来るようになってきました。特に起業の世界に飛び込んでからは、そしてパラレルキャリアを志してからはそれが顕著となりました。

下手したら1日のうちに、10回くらい、例えばアポや打ち合わせごとにペルソナを使い分けることも珍しくないんですよね、多分。あるときは家族愛に溢れる自分、あるときはアントレプレナーとしての自分、あるときはインキュベーターとしての自分、あるときは法律家の自分、、、とまぁパラレルキャリアやパラレルスキルセットな方にはよくある話かと。

ここで大事なのは、全てのペルソナに偽りだとか虚飾だとか誇張はないということです。家族愛に溢れている自分も、法律家の自分も全て真実なんです。

全て真実のペルソナであるからこそ

それら全てのペルソナが真であるからこそ、ときに大失敗をしたり、自分の首を絞めたりします。普段はそのときそのときの状況でベストパフォーマンスが出せるペルソナを選択し、だいたい成功するのですが、たまに間違ったりするとものすごい顰蹙(ひんしゅく)をかったり、反感を食らったりします笑

TPOを間違うくらいであればまだダメージは少ないのだけど、そもそもペルソナをいくつも纏って、かつ切り替えをしまくっていると、体調が悪くなったり、精神力が弱ってしまったときによくなる状態が、

「あ、やべ、どれが本当の自分だっけか、、、」

から始まる頭の混乱です笑。いや、本当に冗談じゃなく分からなくなります。なまじ全部本当の自分の人格の派生だし、事実に基づいたペルソナなので質が悪い。

ここに入り込んでしまうと、ひどいときには自分の記憶すら信じることが出来なくなります。

いくつものペルソナを被っていても

そんなことを繰り返すうちに、最近分かってきたのは、いくらペルソナを被っていても、被らされていても、逆にいうと覆うことのできない自分って明確に存在する、ということ。

1つは人間としての根源的な欲求。飢餓感であったり、睡眠欲であったり、およそ1人間の生存に必要な欲求です。(これがなくなったら、それはお医者さんに行った方が良いかと、さすがに笑)どんなペルソナを被っていても、美味しいものは美味しいし、腹減るのは減るし、眠いものは眠いわけで。多少コントロールの要素はあったとしても、ペルソナでなんとか出来る範囲なんて限られています。

もう一つは、これは本当に最近気づいたんですが、いわゆる原体験。つまり幼少期の記憶や感情です。どういうことかというと、幼い頃って、ペルソナの使い方などあるはずもなく、どんな人もあくまでも自分は自分だったわけで。その頃に思ったことって、紛れもなく根源の自分なんだと思います。幼少期は小学校くらいまで入ると思いますが(場合によっては高校も入るかなぁ)、例えば僕であれば、パイロットになりたいなぁ、とか、ハンソロかっこいいなぁ、とか、あの娘かわいいなぁ、とか、多分みんなそんなもんなんじゃないかと。

例えばいくつもペルソナがありすぎて混乱したときは、そういった記憶を辿ると、何となく落ち着く気がしています。

それすらも忘れる瞬間があって、そのときは確かめたい記憶のなかにいる人に会いに行きます。

そうすると当時の感情や記憶が明確になって、ペルソナを被る軸の部分が安定するのだと。

パラレルキャリアとかでなくても、少なくとも皆さん家庭、仕事、学校など2つや3つフィールドをもって、それぞれ多少のなりとも人格を使い分けていると思いますので、もしそれに混乱してしまったら、上記方法で戻ってくることをオススメします。笑