==お知らせ==
2018年9月、大井川茨城県知事にお渡ししたスタートアップ支援関連政策の提言書を公開しています。お時間ある方はぜひ御覧ください。
http://triot.net/2018/09/180923-teigensho-1/
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昨日、弊フラーCEOの @shibushuta と、成田山新勝寺へ座禅に行ってきました。修行というよりは、講義と体験だったので、長い時間座禅を組むことはなかったのですが、おそらく初めて体系的に座禅の作法を学ぶことができ貴重な体験となりました。
実は高校の眼の前が禅寺だったので、幾度か座禅をする機会はありつつも、当時の感覚と、今の感覚では、やはり結構違うものですね。確かその禅寺は曹洞宗だったということもあり、警策(あの肩叩くやつ)があったりしたのですが、今回は真言宗なので(空海の直属の弟子がつくったのが成田山の縁起)、作法も場の作り方もかなり違いました。
禅を組むときは、壁に対面し、その壁には白い丸にサンスクリット語の「阿」の字と蓮の葉が描かれている掛け軸がかかっています。(これを使うのが「阿字観」という瞑想法。聞いたとき「アジカン??って少し興奮してしまいましたw(時代、、)
※高校のときは、広いお堂に仏像に向かって横一列に並んでたはず。
禅を組むまえに、五体投地という作法をするのですが、これがまたエモーショナルなスイッチになって良い。何か気持ちを変えるときに体を使ったルーティンワークをすることの意味を改めて感じました。
心と呼吸以外の繋がりを全て断ち切る、ということ
このとき行った座禅は、数息観という種類の座禅でした。読んで字のごとく、「呼吸の数を数える」のみ。講師のお坊さんに言われたのは
心はいろいろなもの、記憶、感情、出来ごとや視覚、嗅覚、触覚などの感覚などさまざまなものに常時繋がっていて、絶えず揺れ動いている。心安らかに鎮め、休ませるために、心と呼吸以外の繋がりを全て断ち切る。すなわち、自らの呼吸にのみ意識を向け、集中することで、心と精神を落ち着かせる。
ということでした。
実際やってみると、これがかなり難しく、座禅のときは視覚を制限し、かつ眠くならないために半目なのですが、「半目ってこれくらいなのか、、?」なんて考え始めたりしてしまう。外の子供の声が気になったり、息苦しい、、ってなったりするわけです。
ただ、終えたときに感じたのは、明らかに呼吸が静かになっていて、かつ心も穏やかになっている、ということ。感覚と思考が本当に澄んでいました。
思い返してみると、呼吸を数えながら細く、長く息をし続けなければいけないので、そもそもそれが結構大変なわけで、そうなると確かに余計な物事を考える余裕などなかったな、と。呼吸という人間の根本的な動作にフォーカスをすることで、感覚以外の感情、思考はだいぶシャットダウンされていたんだな、と気づきました。
これを突きつめた先に、果たして感覚すらも切り離せるようになるか自信はありませんが、要はそれが出来たときが本当の「数息観」ということなのでしょう。
座禅とダイビング
同じような感覚が体感できるものを、実は僕は以前から持っていました。それは「スキューバダイビング」。
ダイビング中は、酸素ボンベを背負い海に潜るわけですが、例えば海の底で酸素が切れてしまったら、故障で空気が吸えなくなったら、簡単に命の危険にさらされるわけです。もちろん様々な安全装置や救命手法があるので、安全性は担保されているのですが、要は仮に命を絶とうと思えば簡単に絶てる環境なのです。
そうなってくると人間ってやっぱり怖くなる。最初の頃は、恐怖で呼吸が乱れ、空気を吸っているのに苦しくなり、海の底なのにレギュレーター(空気の供給口)から口を離して息が吸いたくなってきます。
その誰もが陥るパニックを鎮める方法が、実は呼吸でした。まずは大きく長く息を吐く。そうすると、自然と空気を肺の奥まで吸うことが出来るのです。それを繰り返して呼吸が安定すると、不思議なことにパニックもいつの間にか収まってしまう。
極限の状態下でも、呼吸の仕方ひとつで精神を収めることが可能だったりするのです。
あとは、水中なのでいろいろなものを自分から絶つことができます。短時間でもスマホ・電波断ちが出来るのが結構大きい。感覚器官に入ってくる情報量も極端に制限できます。嗅覚は基本情報量0。音の種類も基本水と空気の音のみ。触覚もウェットスーツとグローブをしているのでかなり制限され、視覚も目に入るのは青い海と魚とサンゴのみ(これが美しいんですが)。深く潜ると色の種類もどんどん深い青に染まっていくし、光も届きにくくなります。
強制的にいろいろなものから自分を絶ち、海中を漂う。だからこそ、さまざまな生き物の営みに感動し、心が洗われる。ダイビングは本当にやめられません。
ただ思考や感覚を絶つという意味でいうと、ダイビングが半ば強制的にそれを実現するのに対して、座禅は自らの意志でそれを行うという違いがあります。座禅の方がより自らをコントロールしなければなりません。
ただ、多少環境を整えれば(ちょっと暗くしたり、壁に対面したり)、簡単に作法自体はできてしまうので、日々忙しく暮らしている現代人、特にビジネスマンや起業家、経営者には本当にぴったりな精神修養なんだろうと思います。
そうやって精神を鍛えることで、常に思考が澄んで、意思決定がスマートにできる。だからこそ、アジアに限らず、スティーブ・ジョブズや多くの経営者が座禅やヨガの瞑想を生活に取り入れているのでしょう。
たった5分やるだけでも、かなり変わります。
ぜひオススメです。